『会社に退職を伝えた話』

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前期の記事で、わたし中年サラリーマン(twitter:@tyuunen_fire)の入社時の話を少しさせていただきました。
関連リンク『ブラック企業体験談
https://tyuunen-fire.blog/20210902black
関連リンク『ブラック企業体験談②
https://tyuunen-fire.blog/20210904black

すぐに辞めれば良かったと今でも思うのですが、その後10年在籍したのちに退職を決意しました。

目次

会社を辞めよう

入社後しばらくすると誰かの下ではなく、自分で物件を担当したり、後輩や部下を預かって施工を担当するようになりました。
良くも悪くも担当者の裁量が大きく、丸投げ状態ではあるものの、やりがい自体はあったのですが、仕事を始めて11年ほどが経ったある時、もう辞めようと決意しました。

主な理由は人間関係、給与、休暇の不満です。(今思えばフルコース

定着率の低さ

私が配属された部署は当時、全社員の半分以上が在籍しており、会社の利益のほとんどを担う花形部署でした。

しかし入社4年で私が大型物件を終えて会社に戻ると、部長が代わり、別部署立ち上げの影響で社員が半分ほどに減っていました。
そしてさらに5年後再び部長が代わり、在籍部署の人員は10名を切ってしまいました。

もともと定着率が低く、社員の入れ替わりの多い部署でしたが、2人目の部長が少しずれた方だったのと、3人目の部長は人望が・・

私の後に入社し同部署に配属された方は10名ほどいらっしゃったのですが、10人中1人しか残りませんでした。

人が少なくなってきたから大切にされるわけでもなく、むしろ扱いがどんどん悪くなっているような気すらして、割りと我慢強いと自負している自分でも耐えきることが難しくなってきました。

給与の低さ、残業の多さ、休みの少なさ

いわゆるブラック企業の特徴として、給料の低さというものがあると思います。

弊社も例外ではなく、残業はみなしで支払われ子供が生まれてしばらくは手取り20万を切っていました。

早出1時間、残業は毎日3,4時間しており土曜は休みなし、祝日に休んだことは年始くらいという生活を10年くらい過ごしていましたが、給与水準は異常に低かったと思います。

また、有休も取れなくて10年間で取得した有休はゼロでした。
まったく休めなかったわけではないのですが、土曜や祝日に出勤した代休から消化される為、有休休暇の消化は出来ませんでした。

そんな中、退職を決意するきっかけのひとつが発生しました。

どうしても休みたかった子供の発表会

ディズニーランドの企画で、近郊の幼稚園や保育園を招待してパーク内のステージで発表会をするというイベントがあります。
私の子供が保育園に通っていた頃、たまたまその企画に選ばれる機会がありました。

私と妻はディズニーのアルバイトで知り合ったという経緯があるくらいディズニーが好きでしたので、とても嬉しかったです。

ですが、その日は現場の検査がありました。
どうしても子供の発表会に出席したかった私は、元請けの方や検査員の方と話し合いを行いました。

その結果、検査に必要な書類を事前提出し、当日検査を受ける箇所についても別途全箇所写真を提出することで当日の検査立ち合いは上司の代理で構わないという約束を取り付けることが出来ました。

元請けや施主の方といい関係で現場を進めることが出来ていたこともあり、ひと安心でした。

立ち合いなくてもオーケーのお返事をいただいたこともあり、すぐに代休の申請を行いました。
あわせて、検査日の流れなどを上司に説明しました。
説明と言っても、集合時間を伝えて検査に立ち会い、何か指摘があれば翌日私に教えてください~くらいの簡単な連絡程度です。

許可されなかった休暇申請

休みが許されませんでした。
お前の現場の検査なんだから休むな。との事でした。

ごもっともなんですけどね。

ですが10年間私用で仕事に穴をあけるなんて、初めてのお願いです。

結婚式の前後だって休みを取らずに働いてきました。

事前に客先には了承とっていますし、上司に迷惑をかけるわけでもありません。(元々上司の立ち合いは予定されていましたし、私の部下を同行させるため、メモひとつ取る必要はないはずです。)

自分の心から気持ちが抜け落ちていく感覚がありました。

酷い会社だなと思いながら、先輩や後輩がどんどん抜けていく中でも、それでも自分なりに会社のことを考えて働いてきましたし、自分で言うのもなんですが愛社精神というのも人一倍持っていました。

初めて言った、誰に迷惑かけるわけでもないお願いすら聞いてもらえないんだな。と思ったときに、それでも自分だけはこの会社で頑張ろうという気持ちが死んでしまいました。

休まないけど発表会には行きます。

今であればそのまま辞めてやれとも思うのですが、(今思えばおかしな)責任感であったり仕事を休む引け目のあった当時の自分は、休むことを諦めてしまいました。

しかし発表会への参加は諦めませんでした。

発表会が午前中、検査が14時ごろでしたので、

朝8時 現場で朝礼、作業員に指示
朝9時半頃 ディズニーランドへ行き、発表会を見て少しパーク内で遊ぶ
午後1時頃 現場に戻り検査まで待機
午後2時 検査立ち合い(事実上弊社の検査は終わっているため、文字通り立ち合い)
午後5時 ディズニーランドへ戻り家族と合流

上記の内容で計画・実行しました。

文字に起こすと大したことのない内容ですが、実際は厳しかったです。

普段ディズニーランドに行くときは朝から晩まで遊びますし、私が子供と行くことが出来るのは人生で10回くらいでしょうし。

悔しさと悲しさを感じながらディズニーランドで家族で遊んだあの時の気持ちはまだ忘れられません。

退職計画

その後、先に話した部長の交代があり、後から入ってきた同僚が次々と辞めていく中で、私自身も退職を決意しました。

残業代の未払いを労基署に訴えて支払わせようか考えたのですが、私の父の会社と取引きがあることから諦めました。

しかし、有休が40日(保存される有休が40日まで)代休も50日(保存される代休が50日まで)ありましたので、これに関しては使い切って辞めたいです。

そのため、退職予定日は白紙で退職の意向を伝えました。
退職日を決めてしまうと有休や代休を使いきれませんからね。

ちなみに次の会社は決めずに辞めました。
失業保険をフルに貰うつもりでしたし、色々と仕事のお誘いを頂いており、すぐに次の会社への再就職を決めることもないという認識でした。
そもそも人手不足の業界で経験者は仕事に困ることはないということで、将来への心配はそこまでありませんでした。

有休と代休をしっかり使わせてもらって、仕事自体はすぐに辞めよう。

これが私の当面の目標となりました。

退職を伝える順番

まずは妻に伝えました。
子供が2人いて将来も不安だったと思います。
次の仕事も決めていない中、失業保険を貰いながら職業訓練校行って再就職するという、計画とも言えない計画を何も反対することなく受け入れてくれました。
ありがたかったです。

2番目は父に話しました。
私の勤める会社と父の会社は私が生まれる前から取引き関係にあったため、反対されることはないと分かっていましたが報告しました。(多少心配はされました)

次は会社で交流のあった方々にお伝えしました。
過去一緒に仕事を共にした上司の方はほとんど新しい部署(現在の主力部署)に異動となっていました。この時にいろいろと動いてくれていたらしく、その後の話につながります。

部署で仲の良かった先輩も退職を考えていたらしく、言い出しづらくなるから俺が辞めるまで待って!と言われましたが、私も辞めづらくなるためお断りしました(^^;

その頃には最後の一人となっていた後輩にも伝えました。一人残すことに罪悪感があったため、お前も早く決断するんだよと伝えておきました。

最後に部長に伝えたのですが、責任感がないとか、今まで辞めたやつと一緒だとか色々言われました。
引き留めているつもりだったようですが、当初の予定通り、有休代休を消化したうえで退職する意思を伝えました。

あくまで私の視点のみでの話しですし、せっかく読んでくれている方の気を悪くすることは不本意ですので省略します。

長くなってしまったので今日はこれで終わります。
次回は総務部長と常務と面談をして色々話が変わった話を記事にしたいと思います。

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