『24時間テレビが古臭く、現代にそぐわない理由』

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小学生の頃、24時間テレビは夏休み中のイベントのひとつでした。
フルタイム視聴は難しかったですが、少なからず楽しみにしていました。
しかし今では違和感を感じることの方が多くなってしまいました。

目次

24時間テレビとは

「概要」
1978年、「愛は地球を救う」をキャッチフレーズとして、日本各地でチャリティーキャンペーン活動を行う番組として誕生した。年末年始や緊急時などを除いて、通常の放送を休止し特別番組を終夜放送することは当時としては画期的な企画であった。
番組内容は毎年設定されるメインテーマに基づき、健常者のみならず、障害者や被災者、難病患者などにも着目、チャリティーマラソンやドラマスペシャル、ドキュメンタリー、チャレンジ企画などを中心に構成されている。

募金活動
募金は経費を一切差し引くこと無く、全額が3つの支援活動に分配されて活用される。

  • 「福祉」(高齢者や身体障害者への支援):福祉車両の贈呈、身体障害者補助犬普及支援、障害者情報保障支援など
  • 「環境」(地球環境保護支援):日本をきれいにするプロジェクト、全国各地での環境美化活動など
  • 「災害復興」(災害緊急支援):日本国内・海外で発生した災害に対する緊急支援など  (wikiより)

wikiのまとめ
集められた数億円のお金は、経費を一切差し引かれずに支援活動に使用される。
社会的弱者への理解関心を持たせること、富の再分配のひとつの形である。

良いことばかりのように感じます。

何に対して違和感を感じるのでしょう。

お金の違和感

よく話題になる内容を3項目書き出しました。

番組の制作費は4億円と言われており、近年の募金額は10億円程度

テレビ局が使う製作費を、募金の分配先に使えばいいのではないかとも思うのですが、テレビの内容についてはテレビマンの方々の領分ですので、熱心な視聴者ではない自分が口を出せることではないのでしょう。
たまに広告費を番組制作に使わずに募金にあてれば、もっと多くのお金を分配できるという考えを見かけますが、それは無理があります。
テレビ局が放送することにより集まる広告費、募金が増えることと、視聴者が彼らを知ることが出来るメリットがあるからです。

メディアが社会的弱者を放送することによって、彼らの現実を視聴者に知らせ、視聴者を動かそうという思想自体は個人として理解できます。

出演者の高額出演料

メインパーソナリティが数百ー1,000万円、マラソンを走ると若手で300万、大物だと1000万を超えるなどの話がよく出ます。

ギャラをそのまま寄付に回してほしいという出演者の要望を局側が受け入れられずに出演が見送りとなった話も過去実際あったようです。

最近、日本テレビから、「タレントには基本ノーギャラで場合により謝礼を支払う場合もある。」との声明がありましたが、一体どれだけの人が言葉通りに受け取ってくれたか疑問に思います。
同時に、この声明を考えた方と承認した方は、このレベルの言葉で納得させられるというレベルに視聴者を置いているということがよくわかりました。

一方、障碍者のギャラは

タレントが高額の金銭を受け取る一方、番組内のいくつかある企画でメインを張ることになる障碍者の方は無報酬です。

プロのテレビタレントではないという事もあります。
しかし、テレビ局は広告費としてお金を受け取って番組を制作し利益を上げているなかで、傲慢なように感じます。

演出の違和感

障害を持つ方が、現状どのように生活の糧を得ているのかのドキュメンタリー。
幼いころの夢や、現在挑戦してみたいことを応援する。体験することを手伝う。

このような番組の形ではなく、24時間テレビの番組をコマ切れにして、そのコマに当てはめてテレビの手を入れた見世物小屋のように感じる方は少なくないと思います。

アイドルと障害を持つ方が1.2回練習して生放送で【アイドルと障碍者の友情】と紹介されていたときは続きを見ることが出来ませんでした。
挑戦を応援するかたちの企画も、山登りのような、目玉企画のマラソンを思わせる、苦しかったり過酷だったりが感動ポイントというリサーチなのでしょうか。30年以上もずっと。

マラソンも明らかに時間調整して終盤に合わせている場面を何度も見ましたし、酷いときは24時間で70キロ弱の距離だったこともありました。(マラソンどころか歩いてゴールできる距離)

多くの方は、重度の障害を持つ方と関りを持つことがないと思います。
そういった方々に彼らを知ってもらい、理解してもらい、共に生きていくための第一歩とする。
番組を通じて視聴者の行動(募金)を呼びかけ、番組を視聴するだけではなく参加させて一体感を共有する。

この理念で24時間テレビは今までやってきたのだと思います。しかし、

薄れる24時間テレビの価値

他者に自分を知ってもらうこと。

他人に現状を知ってもらい、お金を集めること。

昔は非常に難しかったです。

街頭で呼びかける、新聞の広告欄に掲載する、チラシをポスティングする。そのくらいしか手段がなかったからです。

【現在では】

他者に自分を知ってもらうこと。
→Twitter、FacebookなどのSNSや、YouTube、個人ブログなどの普及によって、発信をすることの難易度は年々下がっている状態です。

他人に現状を知ってもらい、お金を集めること。
→クラウドファンディングの普及によって、困っている現状を発信しお金を募ることが可能になりました。

もちろん不慣れな方が、いきなり始めてもなかなかうまくいかないとは思います。
しかし、以前と比べたら難易度は格段に下がったはずです。

24時間テレビに感じる違和感

1978年に開始した24時間テレビは当時画期的な番組であったと思います。
ネットが普及する以前の2000年前後あたりまでも、番組内の各企画については別として番組としては時代に合ったかたちではあったはずです。

しかし、知ってもらうことは時代が流れてITが進化したことで、テレビでなくとも個人で完結出来るようになってきています。

そして個人が好きな時間にやりたいことを行う時代に24時間1番組を放送することで視聴者を集める方法には未来を感じません。

社会的弱者を救うことを目的としながら、社会的弱者をお金儲けの道具にする=見世物にしている。という構図が現状成り立ってしまっていることも問題です。

ずっと続いている番組ですので、良い形に進化して続けてもらえたら嬉しいです。


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